Archive for the ‘ 13関東-茨城 ’ Category

産経ニュース
スカイマークが5日間運休 茨城空港

 スカイマーク(東京都大田区)は28日、茨城空港(茨城県小美玉市)で運航している神戸、新千歳(札幌)、中部便について、30日~4月3日の5日間、運休すると発表した。機体点検の実施に伴うもので、同社では「4日からは通常通り再開する」としている。
 同社によると、福島第1原発事故などによる影響を確認するために機体や地上機材の点検を行うとしており、「お客さまに安心してご利用していただくために点検することを決めた」としている。
 同社が保有するボーイング737-800型機18機を順次、点検していく。それぞれエンジンに加え、客室内に空気を取り入れる吸気口の洗浄を行う。
 茨城空港は4月1日から中国・春秋航空の上海便の運航が再開されるが、韓国・アシアナ航空のソウル便は運休が続いている。

茨城空港
[SKYMARK WEB SERVICE]
3月30日~4月3日運休便のお知らせ

産経ニュース
「日向遺跡」出土土器に「日奈田」 地名裏付ける発見 茨城・常陸太田

 茨城県教育財団は9日、古墳時代から平安時代までの古墳・集落跡「日向(ひなた)遺跡」(常陸太田市亀作町)の調査結果を発表した。9世紀ごろの集落跡から現地の地名(字(あざ)名の日向)を裏付ける「日奈田」と記された墨書土器(茶碗)が発見された。このほか、約1500年前の古墳の一部、平安期を中心に約140軒が連なる大規模集落跡などが確認された。
 この調査は国道293号バイパスなどの工事に伴い、昨年6月から実施。特に、今回の墨書土器の出土は、現在につながる地名が記された1100年以上前の資料として貴重な発見で、同財団の小川貴行主任調査員は「当時の役人や僧侶ら文字を書ける地位の高い人々が住んでいた可能性がある」と推察している。
 現地は12日午前10時半から1時間半、一般公開される。問い合わせは同財団常陸太田事務所(電)0294・74・4725。

発掘情報いばらきへようこそ! | 茨城県教育財団埋蔵文化財部
発掘情報いばらき | 常陸太田事務所

中日新聞
浜松藩士の外交筆談録 朝鮮通信使の接待文書を茨城の旧家で発見

 江戸時代に朝鮮王から幕府に派遣されていた朝鮮通信使を浜松藩士が接待する様子を記録した文書が、茨城県の旧家で見つかった。使節団との筆談でのやりとりを藩士が残し、出身地に持ち帰っていた。解読した茨城県筑西市の県立高校教諭で郷土史家の桐原光明さん(63)は「当時の外交の一端をのぞかせる貴重な史料だ」と話す。(水戸支局・原田拓哉)
 文書は、現在の筑西市にあった下館藩出身の浜松藩士尾見与兵衛による「朝鮮使 筆談写」。徳川家宣が第六代将軍に就いた1711(正徳元)年に派遣された朝鮮通信使と、浜松藩との交流の一部を記した。与兵衛は医学などの知識があり、浜松藩に迎えられ、使節団の供応役を任されたとみられる。
 文書は横17センチ、縦24センチの紙5枚。与兵衛は「饗応のため、駅舎(宿)に至り、この筆談を写す」と書き出している。使節団の書記とのやりとりが始まり、書記から「この家の主人か」と問われ「家士にあらず、浜松太守の任官なり」と答える。駅舎の場所について「東海道遠州浜松」「江戸まで70余里」とも説明している。
 浜松産のミカンも登場する。書記がミカンを食べて「瞬(またた)きて、此(こ)の名は何なりと」と質問。与兵衛が「日本蜜柑(みかん)なり」と返答すると「朝鮮も亦(また)蜜柑なり」。
 贈り物の交換になり、与兵衛は銀製の石筆をプレゼントし、書記からは扇子が手渡される。お互いに好きな詩を紹介する場面も出てくる。
 最後に与兵衛は「方殊(外国)の言は異なるも、詩情は是同じ」と残し、誠心外交に尽力したことがうかがえる。
 文書を所蔵していた与兵衛の子孫で、筑西市村田の尾見又一さん(80)は「今からちょうど300年前の出来事。尾見家のルーツを探る手掛かりの一つで、宝物として残していきたい」と話した。

浜松市博物館の久野正博学芸員「筆談やりとり貴重」

 言葉の違いを埋めるため、朝鮮通信使と筆談で意思疎通した記録は全国的には結構ある。浜松市史には1711年に朝鮮通信使が浜松を訪れた記録はあるが、筆談のやりとりや浜松藩の記録は今までの史料に無く、貴重だ。

Wikipedia : 浜松藩
Wikipedia : 朝鮮通信使

茨城新聞
明治期の赤れんが酒蔵再生、ギャラリーに 常陸太田 「後世に」と改修1年がかり

 常陸太田市東一町に現存する明治の豪商・旧稲田屋の赤れんが造り酒蔵がオープンギャラリー「倉」(小泉正オーナー)に生まれ変わり、22、23の両日、関係者にお披露目された。ツタに覆われ、50年以上放置されていたが、市が筑波大に委託した学術調査で文化財的価値のある建物と判明。小泉さんが後世に残そうと約1年がかりで改修した。今後は趣味のサークルや芸術愛好家らに発表の場として広く提供していくという。
 酒蔵は、この地で酒造業を営んでいた稲田敬造が1910(明治43)年に建築。赤れんが造りの3階建てで、宮大工の斎藤辰吉が同時期に建てられた市内の旧制太田中講堂(国の重要文化財)に影響され、外観や内装に意匠を凝らした。
 その後、稲田家は店を畳み、酒蔵は使い手もなく商店街の片隅で忘れられた存在に。しかし、市が2009年、筑波大大学院の藤川昌樹教授研究室に鯨ケ丘地区の町並み調査を委託、その中で「明治期の3階建て赤れんが蔵は県内で珍しい」と絶賛されたという。
 所有者の小泉さんが酒蔵を覆ったツタを取り払い、内装も往時の面影を残してギャラリーに改修。由緒を記した表札を立てた。
 お披露目に招かれた関係者は往時の威風をよみがえらせた酒蔵を見上げ、「よく残っていた」「これは立派」などと感嘆の声を上げていた。

・赤煉瓦蔵の改修が進む Hitachiota Hi-Vision Diary
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日本の無形文化遺産

 日本の「組踊」と「結城紬」がユネスコの無形文化遺産のリスト入りになったが、京都、奈良など日本の文化・自然遺産はけっこう知られているけど、無形文化遺産についてよく知らなかったのでユネスコサイトで調べてみた。

2008年

2009年

2010

UNESCO Culture Sector – Intangible Heritage – 2003 Convention