Archive for the ‘ 14中部-岐阜 ’ Category

産経ニュース
平湯-上高地 タクシー定額に 長野

 国交省北陸信越運輸局は、タクシー事業者から申請が出ていた松本市の上高地と岐阜県高山市の平湯温泉エリアを結ぶ区間の定額運賃について認可した。
 上高地へのタクシー運賃はこれまで、松本市沢渡地区との区間で定額運賃制(大正池まで3200円、帝国ホテル・上高地観光センターまで4千円)を実施してきた。しかし、高速道路無料化で安房峠道路を使って岐阜県側からのタクシー利用者が急増したため、中信地域と高山地区のタクシー会社19社と26の個人タクシーが平湯エリアからの定額運賃を申請していた。
 運賃は大正池まで3500円、帝国ホテルまでが4千円、上高地観光センターまでは4500円となっている。実施は通行規制解除後の4月23日からを予定している。

国土交通省 北陸信越運輸局
平湯温泉と上高地との間の定額運賃(タクシー)の認可について(PDF)

47News
道三の城下町遺構を初確認 信長「火攻め」の跡

 美濃地方(岐阜県南部)の戦国武将斎藤道三が、のちに岐阜城となる稲葉山城のふもとに築いたとされる城下町の遺構が、岐阜市の発掘調査で1日までに初めて確認された。織田信長が美濃に攻め入り、町に火をつけた跡も見つかり、市は「文献の記述を裏付ける貴重な発見」としている。
 市教育委員会によると、確認されたのは、16世紀中期の斎藤道三の時代に築かれた武家屋敷の一部とみられる掘立柱建物の跡や井戸、屋敷と屋敷を区切る幅約5メートルの溝など。
 信長の美濃侵攻は1567年。家臣が記録した「信長公記」には、城下町に火をつけたという記述がある。今回確認された遺構の上層には、火災によって焼けた土や炭の層が約10センチにわたって堆積。この時代に製造されたとみられる陶磁器も土中から発見され、記述の裏付けとなっている。
 大阪市立大大学院の仁木宏教授(中世・近世都市史)は「斎藤道三の家臣の屋敷と推定され、焼き打ちに遭ったことを物語る。信長の時代の遺構は少なく、この地区を信長がどのように利用したのか検証が待たれる」としている。

Wikipedia : 斎藤道三
Wikipedia : 信長公記

ユネスコ無形遺産、審査順決定

時事ドットコム
ユネスコ無形遺産、審査順決定=岐阜の本美濃紙から要求-文化庁

 文化庁は28日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)による審査が先送りされている無形文化遺産の候補11件について、岐阜県の本美濃紙から順に審査を求めると発表した。
 同庁は「分野などを基に機械的に並べただけで、価値の順を示すものではない」としている。ユネスコは態勢が不十分で全候補を審査できないとして、優先順位を付けるよう求めていた。今年11月、同庁が求めた順に数件が審査され登録されるが、残りの審査は来年以降となる見通し。
 審査順は(1)本美濃紙(岐阜)(2)秩父祭の屋台行事と神楽(埼玉)(3)高山祭の屋台行事(岐阜)(4)男鹿のナマハゲ(秋田)(5)壬生の花田植(広島)(6)佐陀神能(島根)(7)那智の田楽(和歌山)(8)綾子踊(香川)(9)諸鈍芝居(鹿児島)(10)多良間の豊年祭(沖縄)(11)建造物修理・木工-となる。

文化庁
本美濃紙 | 文化庁
秩父祭の屋台行事と神楽 文化遺産オンライン
高山祭の屋台行事 文化遺産オンライン
男鹿のなまはげ | 美の国あきた
広島県の文化財 – 壬生の花田植
御座替神事・佐陀神能 佐太神社公式ホームページ
那智の田楽 文化遺産オンライン
綾子踊 文化遺産オンライン
諸鈍芝居 文化遺産オンライン
多良間の豊年祭 文化遺産オンライン

産経ニュース
信長居館跡で金箔の瓦 付近に中心的建物か 岐阜市

 織田信長が天下統一の拠点とした岐阜城(岐阜市)のふもとで、信長が居住したとされる遺構「居館跡」を発掘調査している岐阜市教育委員会は22日、金箔を張った瓦の破片を発見したと発表した。
 市教委によると、瓦は縦、横各約3センチ、厚さ約5ミリ。ふもとの岐阜公園の発掘作業で、中国製青磁器などに交ざって見つかった。焼けた壁土や鉄くぎなど建築部材も見つかり、市教委は付近に来客をもてなすような中心的な建物があったとみて調べている。
 発掘調査は昭和59年に開始。これまでに発掘された陶磁器や文献などから居館があったとされている。

織田信長公居館跡発掘調査
岐阜城―岐阜市観光情報|岐阜観光コンベンション協会
岐阜市役所/岐阜公園
Wikipedia : 織田信長

淡墨桜、養老天命反転地

今月になってから頻繁に開花状況をチェックしていた日本三大桜のひとつであり国の天然記念物、淡墨桜(うすずみざくら)が満開見頃になったので見に行って来た。深夜2時半頃自 宅を出て淡墨公園に6時半頃に到着。早朝にもかかわらず公園入口のすぐ下にある駐車場は満車状態だった。淡墨桜の前には三脚を立てて桜が朝日に照らされる のを待っている客がたくさんいた。樹齢は1,500余年、継体天皇が植えたとされるこの樹は60年前に枯死の危機に遭遇するも再生し現在に至る。名前の如 く散りぎわに淡い墨色になるそうだ。今年は例年より花芽が多く蕾の成長が良いとのこと。

淡墨桜を見終わって以前から一度行ってみようと思っていた「養老天命反転地(荒川修作・マドリン・キンズ)」へ向かう。せっかく養老まで行くので先に「養老の瀧」を見に行った。養老天命反転地は養老の瀧から下ったところにある。ちなみにこの界隈の桜はピークを過ぎて散り始め~散り終わったような状態だった。養老天命反転地内は足元が平らなところがあまり無いうえに広い敷地を歩きまわるので寝不足状態の体にはちょっときつかった。ひととおり周って11時半頃帰路につき14時半頃帰宅。

淡墨桜

養老の瀧

養老天命反転地

養老天命反転地