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150年前の「称平徳利」発見 那須塩原の民家 栃木

 ■益子焼の陶祖が制作 現存わずか

 江戸時代に黒羽藩の郡奉行として益子に着任した三田称平(みた・しょうへい)(号は地山)が考案し、益子焼の陶祖といわれる大塚啓三郎が制作したという「称平徳利(どっくり)」が那須塩原市の民家で見つかった。徳利は大田原市の「黒羽芭蕉の館」に寄贈され、調べたところ約150年前の江戸時代末期の作と分かった。(伊沢利幸)

 「称平徳利」は、酒好きだった三田が、大阪で見た直に火にかける燗酒(かんざけ)の徳利をヒントに、大塚啓三郎に作らせたものといわれている。見つかった徳利は、胴径9・5センチで、高さ9・5センチ。釉薬(うわぐすり)は並白で、徳利は黄緑色。首の下辺りに指先でへこませたあとが数カ所あり、持ちやすく工夫されている。
 三田の漢詩文に詳しい大田原東高の大沼美雄教諭によると、三田自身、この徳利を愛用し、気に入っていたようで、こんな題の漢詩も残しているという。
 「称平陶(しょうへいとう)に杜鵑(とけん)の花を挿して戯(たわむ)れに題す」
 酒を買う金がなかった三田は「徳利に恥ずかしい思いをさせているなあ」と、酒のかわりに一枝の真っ赤なツツジを挿した心境を詩にしたためたのだという。
 のちに徳利の窯は藩の御用窯というべきものになり、藩財政を潤した。その後、明治4年の廃藩置県により、益子は民窯として独自の道を歩むことになる。
 芭蕉の館によると、現存する称平徳利は、称平の子孫の家などで確認されている数個しかない。
 今回、徳利が見つかったのは那須塩原市大原間の渡辺陽一さん(69)方。床の間の引き出し中の桐箱に入っていたという。
 渡辺さんの父親は元黒羽中校長で、当時黒羽の人々から異動などの際に贈られたものとみられている。
 芭蕉の館の新井敦史学芸員は「見つかったのは特徴などから称平徳利に間違いない。この徳利は称平が半分趣味で作らせたもので量産はされず、現存するのはわずかで貴重だ。今後、計画している『益子焼のコレクション展』などを通して、徳利を公開したい」と話している。

Wikipedia : 三田称平
大田原市黒羽芭蕉の館|栃木県内の美術館・博物館・動植物園[とちぎのミュージアム]|栃木の生活便利系サイト アットとちぎ