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風と太陽が頼り、レトロな塩田復活 今治に40年ぶり

 1970年ごろまで瀬戸内海沿岸で盛んだった製塩方法「流下式枝条架(りゅうかしきしじょうか)併用塩田」が今治市大三島町台(うてな)に再現され、28日の海水通水式で完成を祝った。「昔懐かしい塩の味と技術を後世に伝えたい」と伯方塩業(本社・松山市)が建設。風と太陽の力で塩を得るレトロな塩田復活に、島民らは「伝統ある塩田の復活は夢のよう」と喜んでいた。11月1日から一般公開される。
 塩田は、同社大三島工場に隣接した約2千平方メートル。2005年8月、社内にプロジェクトチームを発足。同社創業メンバーの1人、丸本執正(もつまさ)会長(69)が保管していた塩田資料や当時の技術者らの記憶を基に計画を練り上げた。
 流下式の流下盤は、細かな砂利を敷き詰めたテニスコートのような天日干し場で、幅10メートル、長さ20メートル。これが枝条架の周囲に4面並んでいる。
 枝条架は、さくに竹の枝を架け、5段に重ねたもの。再現された枝条架はこれが15列並び、高さ5.5メートル、幅8メートル、長さ35メートル。
 いずれも大三島沖の瀬戸内海から取水した海水を散水、繰り返し循環させるうちに風と太陽の力で水分を蒸発させ、塩分濃度を高めた「かん水」を造り、最後は釜で煮詰めて塩を作る仕組みだ。雨の少ない瀬戸内海沿岸に適した製塩方法として50年代前半から盛んになり、瀬戸内の風物詩として親しまれていた。
 71年に塩業近代化臨時措置法が成立。同年末、塩田が全廃され、イオン交換膜製法による専売の精製塩だけになった。伯方塩業は国のこの方針に反対する消費者運動が母体になって発足した製塩会社。輸入の天日海塩を瀬戸内海の海水で溶解、濾過(ろか)して塩づくりをしている。97年、塩専売法が廃止され、2002年には販売が自由化された。
 記念式で丸本会長は「40年前の技術力を受け継ぐつなぎ目の施設ができた。流下式枝条架塩田を守りたい、という思いが私たちの塩づくりの原点。運動した人たちとともに塩田復活を喜びたい」とあいさつ。続いて当時の塩田で製塩の仕事をした元技術者で、再現する塩田の構造などを助言した渡辺克哉さん(74)と森仁師さん(76)=ともに同市伯方町有津=に感謝状が贈られた。
 式の後、塩田の周囲を歩いて見て回った渡辺さんは「昔の塩田が復活するとは夢にも思わなかった。懐かしい塩田が立派に再現でき、うれしい」と感激していた。
 見学についての問い合わせは同社大三島工場(0897・82・0660)へ。

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流下式塩田(昭和30年代~昭和46年) | たばこと塩の博物館
流下式塩田の採鹹のしくみ
Wikipedia : 塩田
昭和46年法律第47号 塩業の整備及び近代化の促進に関する臨時措置法 条文 | 法なび法令検索