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筆者はだれ? 正倉院の螺鈿紫檀五絃琵琶、江戸期画集に精巧な図

関係者のみ開封…深まる謎

 古今東西の意匠を集めた江戸時代のデザイン画集「丹鶴図譜(たんかくずふ)」に、第62回正倉院展で公開中の「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」が、極めて精巧に描かれている。筆者は不明だ。この時代、正倉院は5度の開封記録しかなく、一般人が宝物を見る機会はほとんどなかった。誰が、どんな手立てで五絃琵琶の詳しい様子を知ったのか。謎に包まれたままだ。
 「丹鶴図譜」は紀州藩付家老の水野忠央(ただなか)が編さんした古典の大全集「丹鶴叢書(そうしょ)」の別冊で木版本。このうち「紋部(もんぶ)」と題した約60ページの和とじの画集(縦約33センチ、横約23センチ)の中で、3ページにわたって掲載している。
 意匠集だからか、「東大寺寶物琵琶螺鈿玉装」などと名称を記しているほか、説明は一切ない。だが、バチ受け部分のラクダや四絃琵琶を弾く男、裏面の花模様の螺鈿細工を始め、一部分で螺鈿が剥落(はくらく)している様子などを、色付きで詳細に再現している。
 「紋部」は、ほかにも「螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)」とみられる「四絃琴甲玉螺鈿装」や「墨絵弾弓(すみえのだんきゅう)」とみられる「古弓蒔畫」など、正倉院宝物を元にしたと推測される絵を、数点収録する。
 宮内庁正倉院事務所の杉本一樹所長は「関係者が描いた宝物図を元にした写本がいくつかある。何らかのルートで手に入れて、これを見本に、さらに写したのではないか」と推測する。
 江戸時代、宝物は、点検作業に携わる一部関係者らのみが実物を見ることができた。元禄6年(1693年)の開封では、宝庫の修理のために数か月間、宝物を別の倉に移した。これらの期間を利用して、絵師らが実物をモデルに描く機会があった可能性はある。
 ただ、宝物図の“原本”は、表舞台にほとんど出てきておらず、現存する写本に描かれた宝物も、簡略化してあったり、細かな模様などは描かれていなかったりしていて、「丹鶴図譜」の絵の正確さ、細かさは際立っている。
 元同事務所長で、神戸女子大の米田雄介名誉教授は「学者や好事家が描いた写本は、模写を重ねた結果、宝物の姿はかなりあいまいになっている。これだけ精密、鮮明な絵を何を見て描いたのか。とても不思議だ」と話している。

 丹鶴叢書 1847年(弘化4年)~53年(嘉永6年)に出た古典籍の集成で全約150巻。藩主に献上された後、江戸の版元が木版本を出版したが、流通冊数などは不明で、完本は国立公文書館(東京)など4か所のみに残る。叢書は藩の蔵書などを元に編まれたが、「紋部」には出典の記載が一切なく、作者を類推する文章などもない。

(丹鶴図譜)_PORTA_(近代デジタルライブラリー)
螺鈿紫檀五絃琵琶