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モンゴル帝国「元」の軍船?海底で発見

 700年あまり前の鎌倉時代にモンゴル帝国、「元(げん)」が九州北部に来襲したその「元寇」を巡る新発見のニュースです。「元」軍の集結地だった長崎県松浦市沖で、「元」の軍船と見られる船の一部が海底から見つかりました。
 九州の北西部に位置する長崎県松浦市。伊万里湾に浮かぶ鷹島の沖で、新たな調査が始まりました。
 「伊万里湾全体の中で、かなりのものが落ちているということが分かります。まぁ、期待してくださいよ」(琉球大学〔考古学〕・池田栄史教授)
 琉球大学の池田栄史教授のグループが狙うのは、海底に眠る「元寇」の遺物です。1274年と1281年の2度、元が博多などに攻めてきた「元寇」。2度目の「弘安の役」では「元」の軍勢14万人、4400隻の軍船が九州北部に襲来し、激しい戦いとなりました。
 鷹島沖の伊万里湾は「元」の軍船の集結地で、神風と呼ばれた台風によって多くの船が沈没したとされています。鷹島周辺の海では、これまでに鉄の兜や陶磁器など、およそ3000点が見つかっています。
 「ほんの一部ですね。まだまだたくさん海の中には沈んでいると言われている」(鷹島歴史民俗資料館・山下寿子さん)
 「元寇」の遺物は伊万里湾全体に沈んでいると見られていて、今回初めて、湾全体で音波探査をして詳細な海底地図が作られました。
 「(水中調査は)これからは偶然ではなくて、意識的に場所を探して掘っていくという、積極的な方法に変わっていく」(琉球大学〔考古学〕・池田栄史教授)
 音波探査によって、水深23メートルの海底で異常な反応を発見。「元寇」の遺物が眠っているのか、水中調査が始まりました。海底付近では泥が漂い、数十センチ先も見通せません。
 調査では、この700年間に堆積した泥をポンプで吸い上げ、取り除いていきます。すると、泥の中から陶器のほか、「磚(せん)」と呼ばれる黒い中国製のレンガの破片が見つかりました。「磚」は、これまでにも「元寇」の遺物として見つかっているもので、船の中央部にあった台所のかまどに使われていたと考えられています。今回の調査で、100個以上もの「磚」が見つかりました。
 さらに、調査チームの想像を超える発見もありました。
 「10センチ×15センチの角の(材木)」(ダイバー)
 「木が出ましたか」(琉球大学〔考古学〕・池田栄史教授)
 幅十数センチ、長さ数メートルの材木が何本も見つかったのです。船体の一部と見られます。
 「板材がずっと並んで7、8枚くらいは確認できたと思うんですけど、そうすると連結した角材状のものが並んでいる状態で見えています」(琉球大学〔考古学〕・池田栄史教授)
 材木が平行に、しかもまとまった数が並んでいることから、船の床板の一部ではないかと推定されています。これだけ形を残して発見されたのは、極めて珍しいということです。
 「考古学の資料として、非常に重要だと思いますし、海底に船の構造物がある程度残っているのは、非常に日本でもまれな例」(琉球大学〔考古学〕・池田栄史教授)
 「元寇」の軍船は、大きいもので40メートルを超えていたといわれています。今回の海底調査は、5メートル四方と限られた範囲で行われただけで、海底にどれだけの遺物が眠っているのか、全容解明はこれからです。

Wikipedia : モンゴル帝国
Wikipedia : 元寇
Wikipedia : 鷹島(長崎県)
鷹島歴史民俗資料館
磚-せん-中国の伝統的建材–都窯業株式会社–